塾長フォーラム② 素質の意味を考える
素質の意味を考える
学問における「健全な競争」のために避けてはいけないテーマがあります。
誰もが分かっていながら声に出せずにいる命題です。
「成績の大部分は素質で決まる」これです。
サッカーで言えば「日本人は、どう頑張ってもメッシにはなれない」ということです。こちらは誰もが平気で言います。
かけっこでビリになった我が子には「しょうがないよ」となぐさめても、こと勉強に関しては「やればできる!」と言ってしまいます。
運動に出来る・出来ないがあるように、背の高い・低いがあるように、数学が得意・不得意という素質の差は歴然とあるのです。
それをごまかしたり、隠したりすると「運動会のかけっこ」になってしまいます。
大切なのはここからです。
「自分は素質がないから勉強するのは無駄」なのかどうかです。
メッシはサッカーでいくつもの記録を塗り替えているヒーローです。現在も世界中の人に感動を与えています。
では、彼は素質だけでここまでやってきたのでしょうか?
メッシは幼い頃から成長ホルモン分泌異常により成長に問題を抱えていたのは有名な話です。現在も彼の身長は169㎝と他の有名選手に比べると明らかに低い。また、10代前半という若さで故郷アルゼンチンを離れ、スペインに渡ったのには相当な覚悟が必要だったに違いありません。
もちろん、そのような状況下、彼が行ってきた血のにじむような努力と厳しい練習の日々を、我々は実際に見たわけではないのですが、体格の良い選手たちの中にいて、身長の低い彼が魅せるその他を圧倒するドリブルから繰り出すシュート、ゴールシーン。
我々は無意識の内にそれを感じ取り、感動するのです。
例えば、身長が280㎝のバスケットボールの選手がいたとします。彼にボールが渡れば敵はなすすべもありません。ゴールの下に立ってパスをもらえば全て得点。チームは連戦連勝・・・。皆さんは、こんな試合に感動しますか?何度も見たいと思いますか?
背が高いというのは素質です。しかし、素質だけで人を感動させ、行動を駆り立てる力はありません。我々は、その背後にある「何か」を感じるのです。
時としてレベルの高いプロ野球よりも、高校野球に感動することがあるのも同じ理由です。高校野球の方が、その「何か」が見えやすいのです。
学問においても理屈は同じです。
取った点数に人は感心こそすれ感動はしません。その過程に価値があるのです。80の素質の人が90を目指すのも、50の素質の人が60を目指すのも価値に変わりはありません。その10点分が、「学力」「努力」につながっているのです。
私たちは「90点取れるから勉強をしなくてもよい」という考え方を否定します。同様に「どうせ50点しか取れないから頑張るのは無駄だ」という考え方も否定します。
本当の競争相手は自分自身です。
「健全な競争」は、そのことを気付かせるためにも重要なのです。
次世代教育 森学園
塾長 森博嗣