塾長フォーラム⑬ 見える学力だけでは危険です
見える学力だけでは危険です
本好きな子に低学力の子はいないと言われます。
かつて優秀な生徒はみな読書家でした。最近では本が読めない本質的な未熟さを持つ「受験秀才」が増えてきていると心配されています。
「若者よ、もっと本を読め。」との、高校や大学の先生方の悲痛な声をよく聞きます。
小学校の低学年で、読書習慣が身についている子は「基礎学力」を完成していると考えて良いと言われていますが、よく本を読む子は年間に数十冊以上の本を読みます。
読書習慣のない子は教科書とマンガ本以外、ほとんど本を読みません。当然、子ども達の「言語能力」「基礎教養」には、子ども達の「学ぶ力」になります。なぜなら、子ども達が思考するとき、言葉を通じて思考するからです。豊かな「基礎教養」は、子ども達がしなやかに広く深く考える力を育てる確かな土壌になるはずです。
昔の子ども達は学校だけではなく家庭や地域社会の豊かな人間関係の中で、多様で具体的な体験を通して、たくさんのことを学び、心の栄養を吸収することができました。しかし、重要な教育的役割を果たしていた地域社会は、今日では壊滅状態です。お父さんお母さんの子どもの時代を思い出して頂きたいと思います。地域社会での子ども達の人間関係の貧困さは目を覆うばかりです。地域社会が失った教育的役割を学校や家庭で補完できないでいるのが現状だと思います。このような中で、子どもは明らかに心の栄養不足の状態に置かれています。「いじめ」や「登校拒否」などはその端的な現象であると、私達大人は考えるべきです。
真に高い学力は、豊かな「基礎教養と人間的感性の土壌」の上にのみ育ちます。しかし、このことは概念としては分かっていても私達大人にもなかなか目に見えにくいことのようです。
「目に見える学力」に気を取られて、真の学力を習得できずに、高校で行き詰まったり、悲惨な挫折に陥った子ども達の姿を、30数年の私塾教育を通して数多く見えてきました。
「子ども達の学習指導はいかにあるべきか。」「見える学力」だけでは、本当に心配なのです。
勉強の基本は読み書きのくりかえし!
昔、人間の常識として備えていなければならないことは、読み・書き・そろばんと言いました。学習の態度も読み・書き・くりかしということが基本です。学校で習ったことを復習して何度も読み、何度も書き、何度も問題などで練習すればそれだけきちんと身についてきます。非常に単純で幼稚なようで、学習と言えば、読み・書き・くりかえし以外にないのです。
ある人が5回で身についたとします。ところが10回同じことを繰り返さなければ身につかないという人もいます。しかし、5回と10回の差は大きいようにみえてたいしたことはありません。ちょうど100メートルを10秒で走るか、20秒で走るかの差であってこの時間はたいしたことではないのです。いずれゴールに着くということには変わりはないのですから。
勉強も同じように、学習事項をマスターするか、しないか。5回と10回の差ではなくて、完全に身につけるかどうかが、大切なことなのです。3時間かかって登った山から見た景色も、10時間休み休みゆっくり登ってもその景色は寸分違いはないのです。ですから早い遅いは気にせずに、自分がしっかり身につくまできちんとした勉強をすれば誰でも頂上に立つことができるのです。